優秀賞受賞作品⑤
趣味が活きて、私は生きる
                          三国 黒

 私はミュージカルが大好きだ。頭の中で、劇中の楽曲を流しては想像をふくらませている。その特技とも言える趣味のおかげで、私は「暴言」や「暴力」をうまくやり過ごす事ができている。

 いつからそうなったのかもう思い出せないし、思い出したくもないけど、私はあるクラスメートから日常的に「死ね」「ブス」「ボコすぞ」「消えろ」「顔を見たくないから二度と学校に来んな!」と言われている。

 正直、顔を見たくないのは私も同じだ。ランドセルはサッカーボールのように扱われ、上ばきは足跡だらけ。筆箱は投げられて、鉛筆や消しゴムが散らばってしまう。ゴミ箱に捨てられたこともある。幸い、身体的な暴力はないので、無視さえしていればケガをすることはない。先生がいない時を狙ってやられるので、後で訴えても、喧嘩両成敗のようにされたり、(最初の頃は腹が立って大声で言い返していたので喧嘩とされた)「ごめん。」「いいよ。」というほとんど意味のない謝罪を受け入れざるをえなくなる。それに嫌気がさしていちいち反応する事をやめた。相手にしないのが一番だ。そのうちありがたいことに鉛筆を集めてくれるクラスメートもあらわれた。

 母には逐一、報告する。母は当初、「それはいじめだ!」と相手に怒なり込みに行く勢いだった。その気持ちが心強くて何があっても大丈夫だと思えた事も、私が相手にせずにやり過ごせている要因の一つだ。また、母に相談した時に分かったのだが、母も小学生の頃、今思い返せばいじめを受けていたとも呼べる状態だったらしい。上ばきに泥が詰まっていたり、教室の机がひっくり返っていたり、ランドセルの留め具を閉めても閉めても開けられたり。私と同じく「ブス」もしょっちゅう言われたらしい。特に、鼻が横に広がっているので「カバ」とからかわれたという。

 もちろん 平気ではなかったが、ある時言われたカバという単語が頭の中でKABAになる。習いたてのローマ字へ変換することが楽しくなり、不愉快な言葉を投げつけられるとローマ字変換して満足するのだ。母はそのまま英語も好きになり、外国語大学を卒業しているし、カバの鼻は愛くるしくて好きだそうだ、ポジティブ過ぎである。私もその技をさっそく取り入れてみた。「BUSU」「SHINE」と変換すると、たしかにちょっと面白くなってきて、前のようなストレスを感じなくなった。私の所まで本来の意味で届かなくなったからだ。アルファベットを並び替えたりしているうちに、真正面から受け取らなくて良い事に気づいてしまった。

 さらに私は閃いた。そうだ、ミュージカル化しよう!と思いついたのだ。

 例えば、体育から戻ってくると体操着袋がおそらく隠されてなくなった時は、ヒロインの体操着袋ちゃんが不慮の事故で記憶喪失になってしまい、どこかで元気に生きてはいるものの、幼なじみの体操着君とは生き別れてしまった、というようなストーリーだ。筆箱が投げられて鉛筆が散らばった時も、母さん筆箱からたくましく旅立つ五兄弟を想像した。頭の中では、適当な楽曲が流れ、でたらめな歌詞がついて悲劇になったりコメディーになったりする。消しゴムや定規が五兄弟を見送るお屋敷の使用人として群舞する。

  またある時は、コンパスで机を削られたので、雨上がりにできた無数の水たまりを、曲に合わせてけり上げながらペアで力強いタンゴをおどるコンパス伯爵とコンパス伯爵夫人を想像した。脳内ミュージカル化するようになってからは、物に当たられる事もただ苦痛なだけではなくなった。

 私は他人を傷つけて喜んでいる人のために学習の機会を奪われたくはない。だから、いくら「学校に来んな」と言われても行くし、「死ね」と言われても無視する。いつでも味方をしてくれる両親もいるし、遠方に住む祖父母はいつでもこちらへ転校しておいでと言ってくれている。安心できるから、今、のびのび過ごせている。私には大好きなミュージカルもある。歌もダンスも、ワクワクする要素がたっぷり詰まったミュージカルに本当に助けられている。

 私はこれからも、くだらない暴言を真正面から受け止めないで、ちょっとあやしい変なヤツ、と思われようともローマ字変換したり歌を作ったり、ミュージカル化したりして自分なりに戦っていきたい。一番良いのはくだらない事をしてくる人が改心してくれる事なので、何かきっかけがあって彼が変わる事を願っている。ターゲットが私のように脳内妄想できる子ばかりではないだろうから、心の底から願っている。

  



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